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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

とめ、はね、だけかな?

大学の3年生の時の話である。「書道Ⅱ」という授業があった。中学・高校の国語科教員免許を取得するには必修の単位である。だから、、、、と言っては語弊があるのだろうけど、教員養成では日本一と言っても決して過言ではない母校の「教育学部」が改組され、創設された文学部の「中国語中国文学科」の2期生、しかも少数派の「古典クラス」だった僕たちは、ほぼ全員が教職課程を履修し、その授業を受けていた。

今だから言うけど、僕たちはみんな「負け組」だった。今はそう思ってないのだけど(笑)でも当時は、教育学部に落ちてとか、他の教員養成系の国立大学に合格できなかったとか、、、、だから教育学部の授業を聴講履修して小学校の教員免許をも取った仲間もいた。そんな事情もあって、多浪生(今や死語やね.。何年も浪人した人のこと。あ、浪人も死語か(笑))も少なくはなくて、僕は必ずしも教職が志望ではなかったのだけれども、その「多浪生」の最右翼が僕だった(笑)ま、いいや。

その授業はいろいろな意味で厳しくて、その中でも一番「ムカついた」のは中国人の講師が「オマエら漢文しか読んでないんだろ?中国語も話せないんだろ(笑)」という「にやついた」軽蔑というか、僕らを馬鹿にしたような顔だった。たしかにそのとおりだったけど、「じゃあ、あんたは日本の古文が読めるんかい?文言(漢文=つまり中国の古文)まともに読んだことあるんかい?」と、いつか言い返してやりたかった。実際、中国人に「大学や大学院で、何を勉強していますか?」と質問されて「『史記』の註釈史を、、、、」と話しかけると、「文言ですか?なんでそんな難しいことを勉強しますか?私にはわかりません、、、」と言われて、ほくそ笑んだことが何度もある。文言、漢籍の重要書物は日本にあることの方が多い。それは事実である。誰も知らないことだけど(笑)そして、その度にワン(王)ナンチャラという教員のニヤツイタ顔を思い出し、不機嫌になった。それは、今でも変わらない。

 

また長くなるから、話を前に進めよう。

 

その授業は1時限目で、仲が良かった仲間が前夜に部活動のコンパだったらしく、突然「すみません、気持ち悪くて書けないので、帰ってもいいですか?」と言い出した。そのワンなんちゃらは「なんだ二日酔いか?欠席にするぞ!」と言い放った。ま、それはそれで「良い指導」だ。でもね、その侮蔑感に満ちたニヤケ顔は、棺桶の中まで忘れないだろう。

ところがである。そんな出来事があった日の授業だからよく覚えている。僕が書いた字が、朱色の墨汁で滅多切りにされた。全否定である。

僕は書道に関しては多少の心得がある。小学校や中学校の習字の授業でも、高校の選択科目の「書道」でも、悪い評価は受けたことがなかった。決して綺麗な字ではないけれど、それは「個性」だ。

僕は完全に切れて、そのワンなんちゃらに「あのさあ、書道って芸術だろ?王羲之がどれだけえらいのか知らないけど、王羲之の字が美しいとは俺は思わない。真似りゃいいの?なんで?そもそもだよ、本来常識であることを教える側面と、個性を尊重する側面とがあるのが教育じゃねえの?芸術って、その最たるもんでしょ?」と言い返した。後ろに並んでいた女優の牧瀬理穂に似ていた仲良かった女の子が「陣内さん!」って肩をたたいて止めてくれたから、「中国ではどうだか知らね~けどさ!」という、一番言いたかった一言は言わなかった、、、言えなかった(笑)

 

本題はここからである。

 

「オマエさ、学習指導要領、読んだことがある?」とワンなんちゃらは、いつものニヤケ面で質問してきた。僕は「あたりまえでしょ!」と言い返したのだが、一瞬、何が言いたいのかな?と逡巡し、押し黙った。彼は(たぶん、そんなに年齢違わなかったと思う)「小学校と中学校の国語の学習指導要領をもう一回読んで来い。あと、高校の国語科と芸術科もだな」と言い、後ろに並んでいた彼女の書の添削を始めた。その時、終業のチャイムが鳴った。

いつも書道の道具を置いていたバドミントン部の部室の前のベンチで珈琲飲みながら、ムカッとしたまま座っていたら、さっきの彼女が笑いながら手を振って来てくれた。お互いに次の授業がなかったから、少し早かったのだけど学食にご飯を食べに行った。

彼女曰く「あのね、陣内さんが(彼女は3つ年下)キレタの初めて見たんだけど、笑っちゃった。私も同じこと思ってたの。でもね、最近、わかるような気がしてるんだよね。」「あの先生さあ、この授業は書道じゃないよって、言いたいんじゃないかな?」「だって、漢文専攻の私たちに、中国語勉強しろって言うでしょ?あの先生、時々、日本語おかしいじゃない?他の中国人の先生は、気づかないんだか、ごまかしてるんだか知らないけど、あの先生、下向いて顔赤くしてるの。気づいてた?」「漢文を教える先生になるんだったら、中国語を使えるようになれって意味だったら、たしかにそうだよね。」

う、、、彼女の方が冷静である。言われてみれば、その通りだ。正直、反論は何もなかったし、できなかった。

僕は、彼女と話しながら、学食の2階の日替わりパスタを食べながら、もう気持ちは図書館に行こうと考えていた。学習指導要領を確認するために。だって、彼女の「この授業は書道じゃないよって、言いたいんじゃないかな?」って言葉で、気づいていたんだ。

「文サ、行こう!」文サとは「文教サービス」の略。母校・文教大学にはいろいろな事情で生協がなく、学食や購買は文サが扱っていた。それでも、さすがに教育系の書籍の品ぞろえはよく、学習指導要領は平積みされていた。彼女の言葉に、あ、図書館よりも近いかって思って、「行こう!」と。だって、彼女が学習指導要領を見ようよって言ってるのはわかったから(笑)

僕は中学の学習指導要領を手に取り、彼女は高校の芸術科を開いた。

言うまでもない。いや、見るまでもない。

小学校や中学校の「習字」は「国語科」の範疇であり、あくまでも「書写」である。高校での「書道」は芸術科の科目であり、、、、つまり音楽や美術と同じである。高校の国語科の教員は、芸術科の科目である書道を教えることはできない。ようするにだ、、、、簡単に言えば、そもそもの教員の、いや科目の役割が違うのである。「習字」「書写」そう、国語の授業では正しい字、読みやすい字、わかりやすい字を「書きなさい」「覚えなさい」という指導をしている。いや、しなければならない。だから、まずは「書き写す」という行為は、まさに「お手本を」なのである。僕たちは「お手本」になる字を書かなければならない。そういうことだ。

「書道Ⅱ」という科目は、国語科の教員免許状を取得する科目なのだから、“そのこと”を理解できない奴には単位は出さないぜ!ってワンなんちゃらの意図は、十分に理解できた。脱帽である。

僕は次の授業で、初めてその授業で教卓の真ん前の一番前の席に座り、ワンなんちゃらが僕の顔を見てニヤッとしたのは見逃さなかった。授業の後に「すみませんでした」と頭を下げ、「読んだのか?」「はい。国語科の教職課程に書道が入ってる理由が、よくわかりました」「うん。良い先生になれよ」「ありがとうございます」

実は、その先生とまともに会話したのは、その時が最後である。基本的には嫌いな人だったしね(笑)

その日から僕は、わざとテキストのお手本から少し「外して」書き、わざと朱色の墨汁でダメ出しをしてもらった。そして、その朱色を「なぞり書き」した。だって、学習指導要領に「書写」「写して書け」って書いてあるんだから。それでもしつこく、ダメ出しをされた。そのたびに「コンチクショウ」と思いながら彼女の顔を探すと、いつもきまって僕を指さして笑っていた。

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この下の写真は、彼女たちの卒業式に、母校の正門前で撮ったもの。左が「牧瀬里穂」ね(笑)恩師・水沢利忠博士に「水沢ゼミの三羽烏」って言われていた。僕は卒業できなかったので、後輩の女の子と帰ろうとしていたんだけど、「先輩、私が呼んでくるから、ここで待ってて。絶対に後悔するから。そんな情けない顔、見てられない!」と言われて、呼んできてもらって撮ったものだ。未だに、本棚の片隅に飾ってある。

その後、いろいろな事情も重なって2年も留年、、、っていうか、かってに学部に残っていたこともあり、意地になって書道科目は全部履修し、「書道科教育法」も履修して基本的には中国語中国文学科では取れなかった高等学校「芸術科(書道)」の教員免許も自己申請で取ることができた。(だって、5年目、6年目は暇だったから(笑))書道の教員として教壇に立った経験はないけどね。

でもでもでも、僕を2回もベトナムへ派遣してくれたNPOの常任理事に「昔タイプの国語の先生の字だよね」と言われたことと、最初のベトナム赴任でも学生たちに「先生の字が、一番わかりやすいです」って言われたのは、誇りだな、、、と思ってもいいかな?(笑)あ、2回目のベトナム赴任では、僕しか日本人がいなかったから比較のしようがない。最初からウルトラ文字だね(笑)

まあ、今でも痛切に思うけど、僕の字は芸術の書道ではないな。国語科の習字の教員の字だな。だからこそ言う。なんで日本語教師の特に女性の先生は、「丸文字」が多いんだい?学生も言ってるよ。「テキストや先生の字と違います。なんとなく読めますけど、真似しなければ書けません」って。全員とは言わないです。でもね、そういう印象が僕にあり、学生が「勉強しづらい」って言っているのは事実だ。

浪人時代にオフクロが言っていた。「あんたの字は、オータ先生の字を真似して、ピンピンはねているから読みにくい」って。高校時代の恩師、大好きな世界史の先生だったオータ先生の学生時代のノートをコピーさせてもらい、それをベースにして、世界史のノートを作っていたから、まあ、それはそうだろう。浪人時代の世界史の恩師にずっと後から飲みに行ったときに「一番前の席に、俺の授業ノート以上のノート持って座ってたんだから、今だから言うけど辛かった!」と。

だからこそ思う。「教師の字は絶対だ」って、今はやりのドラマのセリフか(笑)年賀状をいただいて笑っちゃった。小学校や中学の恩師も、高校のオータ先生も、大学の恩師も、大学院の恩師も、変わってね~って思ったら、中学の恩師のナカノ先生に電話で「筆跡なんて簡単に変わるわけないだろ!」って笑われちまった(笑)

ひとつ言い訳をしておくと、僕は横書きが苦手だ。国語は縦書きだから。だから、予備校や塾で世界史や社会科を教えるとき、日本語を教えるとき「ごめんなさい、慣れるまで字が下手です」ってカミングアウトしている。

と同時に、日本に帰ってきてしばらく、小論文で使う横書きの字と、国語で使う縦書きの字が、どちらも中途半端で自分でも嫌だった。読みにくかったと思う。あと、ごめん、僕はホワイトボード苦手。あと、チョークと黒板の相性もあるなあ。大好きなチョークの会社は廃業しちゃったし。ベトナム赴任時代には派遣元に懇願して、その会社の蛍光チョークを取り寄せてもらったこともあるんですよ(笑)

なんでそうなる?理由は簡単である。1浪目ぐらいまでの僕の字は、下手だ。勉強していなかったから。字を書いてなかったから。慣れてない字は書けねえ(笑)

 

もう結論を書かないといけない。何が言いたいって、これだよ。

sp.yomiuri.co.jp

学校のテストなどでは、指導した字形以外の字形であっても、柔軟に評価するよう求めている」って、おいおいおいおいおいおいおいおいおいおおいおいおいおいおいおおい、、、、、学校のテストなどって、などってなんだよ?柔軟って、どこまで許容範囲なのさ?誰に求めてるんだよ?(笑)どこまで求めるんだよ?

あのねえ、僕は予備校講師を始めた1988年の段階で、先輩講師諸先生、実際に大学や高校の入試問題を作っている諸先生方に聞いて廻ったんだ。だって、採点基準がわからないと指導できないじゃん。その結果共通して「トメハネまでは見ないけど、画数が違ったらアウト」だった。そりゃね、画数が違うと別の字になっちゃうこともあるしね。

実際には画数の問題が、裏が深くて問題はたくさんあるんだけど。

いくつかの高校で、入試の採点を担当したことがあるけど、いつもそのことを質問、確認していた。若い先生は「そこまで気にしますか?」って言ってきたこともあるけど、ベテランの先生は「さすがに予備校の先生は大切なことに気づきますね」って言ってくれた。

例えば、「収入の収」の字は四画なのか、五画なのか。もう、今書店に並んでいる漢和辞典でも「五画」としているものもある。

入試問題を作成した数少ない経験の中でも、模範解答&採点基準には「画数が違ったらバツ」と記した。何も異論はでなかった。そういう指示がないときは、確認はするってのが僕のスタンス。

だから、中学校受験だろうが、高校受験だろうが、大学受験だろうが、看護学校受験だろうが、学生が小学生だろうが中学生だろうが、高校生だろうが浪人生だろうが、大学生だろうが社会人だろうが、日本人だろうがベトナム人だろうが中国人だろうが、どこの外国人だろうが、画数だけは崩すなと教えてきた。そしてその時、実は「習字」「書写」の経験を活かすことができると熱く語ってきた。だから、筆は簡単に手に入るベトナム・ダナンで、日本から水で何度も書くことができる「半紙」を取り寄せた。Amazonで(笑)

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おっと、これ ↑↑↑ は僕が書いた字だった。

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下手くそ~(笑)でもね、習字で慣れる「筆運」って、「書ける」「読める」「わかる」字を書くには、最適な活動なんだよね。僕はベトナム人に日本語を教えるときに、最初から漢字を教える、、、、細かいことは「企業秘密」だけど。そして、「ベトナム語訳の常用漢字表」を渡して、自分の名前を漢字表記にさせることからスタートする、、、、これはベトナムでしか通用しない指導法なのだが、、、、、なんでベトナムの日本語教育でごくごく一部の教師しか使わね~のかな?と思うんだけど、まあ、横に置こう(笑)ちなみに、彼女の名前の漢字表記が「翠」である。後ろの学生が開いているのが常用漢字表だ。

「とめ」「はね」がど~でもいいのなら、彼女が書いた字でも許容範囲なんだよね。今までなら、いや、これからも、僕は「こんな字はない」ってダメ出しするけどね。本来跳ねるべきところを跳ねないのもOKと言いたいんだろうけど、この字はそもそも跳ねない字だけど、それでも跳ねてもOK、、、、となるわけですよ。そう国が認めたんでしょ?ああ、そうですかとしか言いようがない。僕はダメ出しをし続けるけどね。「個性」OKなら、こっちも「個性」ですよ。

 

でもね、今の今まで、なんで誰も言わなかったのかな?なんで文部科学省じゃなくて、文化庁なのさ?いや、それはそれで、そうだね。でも、一番に影響があるのは「学校」じゃないのかな?文科省でしょ?

元国語科高校教諭の馳文科省大臣はなんていうのさ?「そのように通達します」とかなんとかほざいたら、笑っちまうぜ。ボケ!コラ!オイ!コラ!(長州力風)(笑)僕は彼を元プロレスラーとしてだけではなく、元国語科高校教諭として見ていますから。所属政党がどうだとか、地元の先輩議員(元首相)がどんなにダメな人間であったとしてもね。いつか、そいつをぶった切って(論破ね、して)ほしい、、、、話がそれた。

 

おそらく、入試業務に関わったことがある「まともな」国語科教員ならば、「何を今さら」って鼻で笑うだろう。それが当たり前。でも「じゃあ、画数の問題は?」って発想があるかどうかが、まともな教員とそうじゃない人かの違い。

僕はそう思う。

今後の対応として、「教科書体フォント」をどういう位置づけにするのか。僕は、全ての教材プリントを20年以上前から教科書体で作成している。「このような字で書きなさい」と。15年前のハノイで、漢字のプリントを「横倍角」(死語か?(笑))で作成した日本語教師に、「学生に迷惑だからやめてくれ!」って言って大喧嘩になったこともある。外国人に外国語として日本語を教える日本語のセンセ~がどう対応するのか、興味深いな(笑)

入学試験は、「そうしなさい」って国が言ってんだから、まあ、そうなんでしょう。あんまり問題ないんだろうなあ、良いのか悪いのかは別にして。

学校教育を前提にした書道教育はどうするんだろう?

あと、僕が鼻でじゃなくて、想像しちゃっただけで笑いが止まらなかったのが、京都にある漢字の検定協会だな。僕もだいぶ昔に少しだけ仕事したことがあるけど(そのせいで、悪い仕事をして暴利をむさぼったと今でも言われることがある)、、、まあ、採点基準の変更を余儀なくされるんだろうけどね、、、、、、、、、、合格率は相当アップするな。アップしなければ、検定試験の意味がなくなるし、やっぱり会社としてダメだとの証明になる。まあ、その方が社会のためにも良いのかもしれないけどね。あくまでも私見です。

 

ま、キリがないので、これでおしまい(笑)」

 

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やっぱり笑いは近鉄でんな~漢字が違いますから~😁

僕が大学生のころ、関西ローカルのCMで明石家さんまが「やっぱりビールは関西風味でんな!」というのがあった。キリンビールの関西風味。味は覚えてないし、今あるのかも知らん!

 
さて、昨日、いや一昨日の夜中のテレビでの話。
 
テレビつけた途端に元近鉄バファローズの金村氏&佐野氏が出てたので、咄嗟に録画ボタンを押した。
 
この二人の「近鉄ネタ漫談」は、YouTubeで検索すると簡単にでてくるので、まあ、笑いのネタとしては予想できたし、実際に予想通りだった。そろそろ飽きてきた感も強いけど、それでもオモロイのは事実だ😁
 
でもね、何が一番オモシロカッタって、これよ。

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漢字、間違えてますから~。
 
金村がアホかと思われるのは癪だけど、実際、「未だ(副詞)〜ない(否定の助動詞)」と「今|だに(副助詞)〜ない」では、まったく意味が異なるって、国語や日本語の授業ではツボなんだよね。またひとつ授業のネタが増えた(笑)
 
あ、金村~、藤井寺球場と日生球場のロッカールームの汚さに音をあげて、1ヶ月で帰国したのは、ダンやのうてドン・マネーやから。(理由は他にもある(笑))
 
あと、ふとおもいだしたんだけど、藤井寺での西武戦で、ツーアウト満塁、フルカウントから清原が大ファール打ったときの、、、、当然ランナーは一斉に走りますわな😃その時の「所定の位置に戻りなさ~い」と、近鉄の四番バッター石井がデッドボール当てられた時の「清原~、覚えときや~」このふたつの野次は傑作だった。
 
まあ、僕の野球観戦でのヤジ合戦の、笑いのツボにはまった第1位は、東京六大学野球春のリーグ戦、雨で一日延びた月曜日の早稲田VS東大での「お〜い、東〜大〜、授業は〜、どうした〜」だけどね(笑)早稲田は休みなんかい!?
 
大阪近鉄という球団が消滅して、もう何年経ったのかと考えると、「未だに」笑いになるというのはファンとして嬉しい限りである。あ、僕は合併後のバファローズは近鉄とは関係ない球団と思っているので。それと、この「未だ」の使い方は、否定を伴う呼応の副詞とは使い方が違う、、、、というのは賢明な読者諸氏にはお分かりのことと思う。
 
もう、12年でっせ。ほんまに。
 
て考えると、近鉄のファンが素直な気持ちでオリックスを応援できないのと一緒で、松竹ロビンスとか高橋(トンボ)ユニオンズのファンだった方は、どうされてるんやろか?
 
まあ、たまに笑わせてくれれば、それでええわ!(笑)
 

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結婚記念日と丼ビールの思い出 ~đám cưới ngày kỷ niệm và bia tô~

facebookに、ある意味便利で、ある意味恐ろしい機能がある。過去に遡って、同月同日にUPした記事が、「過去の思い出をチェックしなさ~い」と促してくるのだ。

もちろん、それが厭ならOFFにしておけば良いのであるし、自分で了承しない限りタイムラインに載ることもないのだが、自分以外の誰かの記事にタグ付けされていた場合は、ちょっと気恥ずかしい思いをしたりすることもままある。

さて、本日1月19日の「過去の思い出」であるが、、、、

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 ベトナム・ダナンの日本食レストラン「北国」の看板娘、、、と書くと「そう考えてたのは努くんだけでしょ!」と言われてしまうわけだが(笑)、赴任直後から帰国直前まで、3年間仲良くしたトンちゃんの結婚披露宴である。2013年の今日の話である。

この写真は後になって、アルバムを本人から見せてもらったときに「当日のパーティの様子を撮った写真がないな、、、」と思って、撮らせてもらったもの。僕の隣に写っているのは、、、、

ダナンの日本語ー介護クラスの2期生、日本での介護研修事前準備&日本語能力試験N2合格クラスのメンバーに「誰か、一緒に来て欲しい!」と頼んだところ、鳩首協議の末に選抜された(笑)トゥイ先生である。彼女はフエの医科大学を卒業して、看護学の教員としてダナンの大学に採用されたんだけど、「介護」教員候補として日本語を学んでいたのだ。

ちなみに、トンちゃんの旦那は、このクラスの学生の高校時代の同級生だったというオチが付く(笑)

まあ、ベトナムの結婚披露宴は、着席と同時に宴会が始まり、新郎新婦入場と両家ご両親の紹介、両家父親の挨拶ぐらいまでが式次第であって、その後は大カラオケパーティとなり、いつの間にか終わっていると、、、、、そんな感じである。

ベトナムでベトナム人の同僚や、教え子以外の結婚披露宴に出席したのは、トンちゃんの時が初めてであった。

赴任してまだ2か月ぐらいの頃に、知りもしない教員同士の披露宴に連行されたことがあった。「うちの息子と嫁は、外国人の教員がいる大学の教員である」というのがステータスらしく、知りもしない新郎新婦は恐縮気味に愛想笑いを浮かべていたが、親類縁者の握手攻め、乾杯攻めにあった僕は、、、、まあ、楽しかった(笑)

 

この日は「娘を嫁に出した父親」状態の僕を慮って、夕方からダナンでの飲み仲間、駐在の先輩であるSさんと、青年海外協力隊でダナン病院に派遣されていた日本人看護師のOさんとが、「努くん、元気出してね!大宴会」を催してくれた。

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 古くからのダナン人は郷愁を禁じ得ないという「丼ビール」ビア・トゥである。まだまだガラスのコップやビアグラスが高価だった時代に、丼で飲んだという話なのだが、最近になって若い人にも人気がでてきた、、、、のかな?何店舗かできていた。

この日はこの店で鍋を食べ、さんざんビールを飲んだ上で、ピザを食べ、最後にベトナム式のサウナにまで行った。詳しいことは誤解があってもよろしくないので避けるが、ちょっとドキドキ感満載であった(笑)

 

あの日から、もう3年が経った。

今思えば、この辺りから3年間の赴任生活のラストスパートが始まったのであった。

トンちゃんには子どもが生まれ、トゥイ先生も結婚してしまった。

ダナンは遠くになりにけり、である。

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縄文の森~36年ぶりの椚田遺跡~

京王高尾線のめじろ台駅~、南にまっすぐ行ったところに、国の史跡として保存整備された「椚田遺跡公園」がある。ぽかぽか陽気の3連休だったので、午後から出かけてみた。公園として整備されてから一度だけ、悪友という名の親友の車で通りかかったことがあるのだが、足を踏み入れたのは初めて。実に36年ぶりぐらいの訪問である。

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 この遺跡は1974年(昭和49年)から発掘調査が行われ、時代区分で言うと縄文時代から平安時代まで、大きく分けて第Ⅰ~第Ⅴまでの5カ所の遺跡が発見された。

小学校5年、6年のころによく自転車に乗ってでかけ、飽きもせずに発掘作業を眺めていたものだ。

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当時の遺跡調査団や八王子市教育委員会が作成していたパンフレット。『広報くぬぎだ』というリーフレットも発行されていた。毎号送ってもらっていた、生意気な小学生であった(笑)

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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

右側が1980年頃の航空写真。よく見ると第Ⅱ遺跡、第Ⅲ遺跡が発掘中なのがわかる。この五つの遺跡を合わせて「椚田遺跡群」と呼び、後に第Ⅲ遺跡が「椚田遺跡」と名付けられて国の史跡に指定され、その一部を公園として保存整備されることになったのだ。

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この辺りが第Ⅰ遺跡。めじろ台駅から直進してくると、小高い坂を越えなければならなかったのを、、、自転車が面倒だったので、よく覚えている。それで「あ、ここだ!」と思い出したのだ。

ちなみに、各遺跡の時代区分は次の様になる。

第Ⅰ遺跡:奈良時代、平安時代

第Ⅱ遺跡:縄文時代中期、古墳時代前期【神谷原遺跡】

第Ⅲ遺跡:縄文時代中期~古墳時代後期【椚田遺跡】

第Ⅳ遺跡:縄文時代早期~平安時代【中原遺跡】

第Ⅴ遺跡:縄文時代早期~平安時代

 かなり長い時期にわたって人が住み続けたことがわかる。よほど、住みやすい土地だったんでしょうね。地元だった「船田遺跡」も同様なのだが、小高い丘(丘陵地帯)で日当たりが良く、川・水場が近い場所が好まれたということか。

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こんな発掘風景を日常的に見ることができたんだから、幸せだったなあと思う。

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まあ、これだけしっかり案内板もできて、当時の様子は写真でしか知ることはできないのだが、、、、、こんな森を見ると、なんとなく面影があるような気がする。

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これは公園を東側から望んだところ。前から気になっていたのだが、どうやら縄文時代の植物を植えて、当時の森を再現しようと試みているらしい。

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夏場に一度来てみようと思うのだが、イイ感じですね、保存施設としては。できることなら復元家屋のひとつも欲しいところ何だけど、維持管理が大変なんだろうなあ。ああ、そうだ。発掘中に一棟復元して、わざと火事を起こして燃焼実験やったんだった。思い出した。

中田遺跡の復元家屋も解体しちゃったし、こんなご時世だからねえ。まあ、しかたないか。あそこも、何度か放火事件があったなあ。

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八王子って、敷石住居が多い。水が出やすいということも、理由の一つなのかな?

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これが、「縄文時代の森」と言うことらしい。静岡の登呂遺跡にも「弥生時代の森林跡」がある。発掘された切り株を樹脂で固めたものだが、、、、こういう復元の仕方もいいねえ。

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僕らが子どものころは、こういう空間があれば野球と相場は決まっていたけれど、最近はサッカーですな。そもそもこういう空間がない。あっても球技禁止なんてかいてあるので、、、まあ、イイ空間なんだねえ。

僕は、昔ここで、考古学者になることを夢見ていたのだ。。

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子どものころは4線島式だった

「4線島式」鉄道用語である(爆)

 なに?それ(笑)

京王高尾線。自宅最寄りの北野駅から高尾山口に向かう路線である。僕の記憶の高尾線は、この写真の風景である。

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 緑の電車は2600系。北野と高尾山口を区間運転で行ったり来たりしていた。真ん中の6000系は僕のイメージでは急行用。下の5000系が特急用。そういうイメージ。

全部、廃車だね。5000系は各地の地方鉄道に譲渡されて活躍しているけれども。

さてさて、その高尾線の中間駅に「めじろ台」がある。子どものころ通っていた「椚田遺跡」の最寄り駅である。この駅、昔は特急の停車駅で、上下線ともに追い抜き可能だった。「4線島式」である。たかだか7㎞弱の路線で待避線必要?って思うのだけど、、、、延長計画でもあったの?相模原線が城山湖とか、河口湖方面に延伸の計画があったのは知っているけど、高尾線は地形的にも無理でしょ?

ふと思い立って、椚田遺跡公園に行ってみたのだけど、めじろ台駅で見ちゃったんだな。

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 下り線、高尾方面ホームの待避線の跡。

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 ホームで使っていたであろう敷石も残っている。

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これは帰りに撮った上り線(北野・新宿方面)のホームなんだけど、車両が長くなるにつれてホームも延伸していて、なんとなく島式ホームだったころの名残がある。

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 夕焼けもいいね。

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ちゃんと炊いたぞ!七草粥

 8日の話である。

職場であることに気づいた。「あ!」だったか「ぎゃっ!」だったか、叫び声をあげた。上司、、、社長の奥さんが「陣ちゃん、どうしたの?」

「七草粥、忘れてた!」

この年末年始、やれることは全部やってみようと思っていた。年越し蕎麦も、お雑煮も、初詣も、何年かぶりの年賀状も。

そして、その〆が七草粥のつもりだったのだ。

お屠蘇とお節は、ちょっとむりね(笑)

facebookでつながっている上司は「なんかさ、最近楽しそうだよね~」と笑ってくれた。

 

授業のあとで、そんな話を社会人の生徒さんと話していたら「西友(職場と最寄り駅の直ぐ側にあるスーパー)で、ドライフーズの七草売ってました!」「まだ売ってるかな?」「行ってみますか?」

 

と言うわけで、西友経由で帰宅したのだが、、、、あった!

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 ドライフーズはなかったけど、ちゃんと七草ありました!

ここまではfacebookで既報。

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」ん?五・七・五・七、、、、で止まってる(笑)

ちょっと思い出した。ある私立中学校の入試国語で、出たんだよね、選択肢の問題だったけど。授業で「今日は七草粥の日だね。春の七草って知ってる?」と話題にした直後だった。

ちなみに、上司には「なにかたして、(一日遅れだから)八草でいいんじゃない?」と言われ、生徒には「パクチーも入れますか?」と。彼女も東南アジアに行っちゃう人だ。 

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 安いのか、放出品なのか、わからん(笑)

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 意外とね、料理好きなんですよ。

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ざくざくいっちゃいましょう!

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入れます。

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炊いちゃいましょう!

ちなみに、1合の五分炊きです。

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湯気で見えへんやん!

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できました~!

 

次回は、何にしましょうかね?ひとりで食べるのは寂しいね。

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【外伝】我が家の宝船に乗った七福神【七福神、その4】

年が明けて「八王子七福神めぐり」を思い立ったきっかけのひとつは、両親が楽しんでやっていたことを、真似ではないのだけど、少し辿ってみることで多少の供養になるかなと思ったからである。

実は、僕が実家を離れていた1989年(平成元年)4月から2000年3月までの間に、長房団地から長沼団地に転居を余儀なくされ、その間ほとんど帰省しなかったものだから、、、、、帰ってみたら自分の家ではないようになっていた。

その後もベトナム赴任があったり、日本にいてもほとんど家にはいなかったので、今回の引っ越しまで、片付けも何も手をつけていなかったのだ。

今回の七福神散歩で思い出したのが、「宝船に乗った七福神の置物」が、テレビの側にあったことなのだが、、、

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 ちゃんと箱に入れて、避難しておられました。

それぞれの背中に寺社の名前が入っているので、ひとつひとつググってみたところ、左から、

 毘沙門天:鎮護山 善国寺(新宿区神楽坂)

 大黒天:大乗山 経王寺(新宿区原町)

 辨財天:厳島神社(新宿区余丁町)

 福禄寿:大久保山 永福寺(新宿区新宿)

 寿老人:春時山 法善寺(新宿区新宿)

 布袋和尚:霞関山 太宗寺(新宿区新宿)

 恵比寿神:稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町)

 と言うわけで、「新宿山の手七福神」と呼ぶらしい。

案内のサイトに依ると、それぞれの寺社で当該の一体ずつしか手に入らないとのこと。

 

やっぱり、歩いてたんですな。まあ、その内にね、歩いてみましょう。

 まあ、新宿よりも先に、「日野の七福神」が先かなと思っているのだが(笑)

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