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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

40年前の恩師からの葉書ーその1

前記事で、不要なポスティングについて書いた。そのまま全部ゴミ袋に入れてしまおうかと、そんな勢いだったのだが(笑) その中に、クロネコヤマトの不在配達通知が混ざっていて、よく見ると、40年前の恩師の名前があった。

 

僕が小学校4年の時の担任の先生の名前である。

 

ちょっとお恥ずかしい話なのだが、親父の実家と親父の関係は、僕ら子供世代にはよくわからない事情が錯綜していて、父方の親戚づきあいは途切れて何十年だった。

 

 

実際、fecebookで偶然に再会した従姉とも30数年ぶりのコンタクトであった。 父が他界した時には散々悩んだ末に従姉に連絡をとり、叔父と叔母に親父の臨終に立ち会ってもらった。 だから、誰に知らせることもなく、葬儀は父方と母方の近親者と、父が一番喜んでくれていた僕のベトナムでの活動を支援してくれているNPOの事務局長ご夫妻と、お世話になっていた施設の施設長さんと、「悪友」と言う名の僕の一番の親友にだけ出席してもらって、静かに見送ったのであった。

 

そんな事情もあって、また、その後の相続やら都営住宅の退去勧告やら、そのままだった母の荷物、父の荷物の整理、自分の荷物の整理と、さらに自分の体調の悪化、精神的な不安定と、いろいろなことが重なって、父とお付き合いがあった方々にも父の他界を知らせることなく時間が過ぎてしまった。 この間、お世話になった皆様には感謝の言葉もない。

 

今回、ようやく引越しも落ち着き、本当はそうするべきではないのだけど、二度手間になるのもどうかと思って、親父の他界の通知と、転居の通知とを合わせて、お世話になった、なっている方々に葉書を出したのだった。 親父は意外にマメな人で、年賀状などのやりとりも「地方公務員がこんなにも多くの年賀状のやりとりをするんだなあ」と、子供ながらに思っていたのだが、それはそれは整理するのが大変だった。いや、まだ整理し切れていない。でも、ここ何年かの年賀状を頼りに、お知らせするべき方を抽出して送ったのだった。 父と同じように鬼籍に入られた方も多い様子で、それでも、「一番の親友だったと私は思っています」と返信を頂いた方も何人かいる。中には供花代をいただいた方もあり、あまり人付き合いが得意ではないと思っていた父の、知られざる一面を改めて知ったりもした。

 

さて、ここからが本題。

 

クロネコヤマトの不在配達通知に記されていた名前は、小学校4年の時の担任の先生だった。

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先生は富士山の南側の麓のご出身で、その地域の国立大学を卒業されて、新卒の小学校教師として僕のクラスの担任になった。 数年後に、「校内暴力」の全国的な中心となる悪ガキ軍団だった僕たちの学年に、先生は相当に手こずったと、今になれば思う(笑)

 

同じクラスのまま5年、6年と過ごすのだが、5年次からベテランの校長先生も一目おく大御所の先生が担任になったことでも、そのご苦労は察するにあまりある。 ちなみに、そのお二人の専門は社会科であり、このお二人と親しく接した結果、すでに社会大好き、歴史大好きであった僕は考古学マニアとなり、そのベテランの先生の母校を目指して3年も浪人したのである(笑)

 

長くなりそうなので、とりあえず、今日はここまで(笑)

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ベトナム赴任時代は、この「ランキング」が密かな楽しみでした。学生と某所以外は完全にアウェーだったしね。

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