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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

40年前の恩師からの葉書ーその2

恩師

前記事からの続きです。

その先生は新卒で初担任と言うこともあって、同僚の先生方にもかわいがられていた様子。例えば、校長先生が下宿のアパートまで行って、棚を吊ってあげたとか。

何でそんなことまで知っているかというと、僕は結構ませたガキで、日曜日などに時々、先生の自宅に遊びに行っていたのである。そして、小5の夏休みに富士山の南側の麓のご実家まで、リュックを背負って遊びに行ったり、翌日には登呂遺跡(おっと、地名がばれる)に連れていってもらったり、そんなことを他のクラスメートを出し抜いて?(笑)やっていたのだ。

今の小学生事情はよくわからないけど、意外と親同士の競争というか妬みあいは激しく、小5の担任が父母会(昔はそう呼んでたよね。今では保護者会か)で僕がご実家まで泊まりに行ったことをばらしちゃったからさあ大変で、うちの母は後々まで「わざわざ言わなくていいのに」と言っていたのを覚えている。「ばらさなくても、、、」だったかな(笑)

まあ、そういうのが特別なことだったのかどうか、他の先生や生徒がやっていたのかどうかはわからないし、覚えていないけど、その先生とも、5,6年の担任とも、クラスの何人かでスケートをしに遊園地に行ったことは何度かあった。それもそれで、声がかからなかった子の親がブツブツ言ったりというのを、うちの母はうちの中でブツブツ言っていた(笑)

そんなことに加えて、3年生の後半からクラスの代表委員となり、4年の後半からは児童会の副会長、5年の後半からは児童会長と、なぜかそんな路線にはまってしまい、郷土史クラブ(もちろん顧問はその先生と5,6年の担任)では先頭切って遺跡の見学などに先生を連れ出し、クラスの草野球チームではキャッチャーなどなど、、、、目立つ存在だったんですな、僕は。

そういやあ、高2の担任の自宅にも、よく行ってたな。クラスの女の子と。そうそう、新宿まで映画を見に行ったこともあった。「E・T」だよ。そうだそうだ。


映画 「E.T.」 劇場予告 - YouTube

ま、今思えばその、当時まだ若かったその先生に、うまい具合にダシに使われた気がしないでもないが、いや、間違いなくそうだったと思うけど、ダブルデートは楽しかったなあ(笑)

その後、千年前の都があった町のご実家に戻られてからも、大学合格の報告に伺ったり、一緒に奈良の町を歩いたこともあった。そして、僕が持参した大学のパンフレットに先生の高校時代の恩師の名前があり、そのおかげで、大学時代は厳しくも暖かくご指導いただいたなんて経験もある。

話がそれた。

そんなわけで、大学を卒業して、教員になって最初の生徒ということもあり、目立つ存在だったということもあり、印象深い生徒だったんだろうなあと、今になると思う。

長くなってきた。続く(笑)

 

ベトナム赴任時代は、この「ランキング」が密かな楽しみでした。学生と某所以外は完全にアウェーだったしね。 ブログ再開。よかったらポチッとお願いします。

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