努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

厳しかったから、嫌いでした!(苦言編、その3)なんでなのかな?

「苦言編」も3回目になった。お小言はさらっと終わらせて、ネチネチ言わないのが良いのはわかっているのだが。

怒っているわけではないので、ご了解ください。

前回の最後に、ダナン在住が長い日本人の先輩との会話を記した。

  

shibasen.hatenablog.com

  先輩曰く「もの考えない子だね。日本で介護させて、大丈夫なの?」

僕は、「まあ、必ずしも優秀な学生だったわけでは、ないので、、、」

「ああ、やっぱりね」

「まあ、ダナンの3期生がそうなっちゃったのには、ちょっとした理由があるんですけどね。」

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この「ちょっとした理由」は僕にとっての言い訳なのであり、お恥ずかしい話にもなってしまうのだが、、、

まず、僕が「まあ、必ずしも、、、、」と応えているでしょ。これは、もうしょうがない。実は先輩の会社には、日本語ー介護クラスの2期生がいるのだ。

比較できるわけです。悪意じゃなくてね。

彼女は、最初に出会ったころは「今どきの、おしゃれなベトナム人学生」という風情に僕は感じ、最初のころは「ああ、ベトナムの大学生も、こんなアカヌケタ娘がいる時代になったんだなあ、、、」と。15年前のハノイの学生の授業中のイメージとはかけ離れた雰囲気だった。悪い意味じゃない。

そのクラスは当初30人ぐらいいたのだけど、一番前の入口側の席に、「今どきの女子大生組(ベトナム版)」が並んでいたのだ。その中のひとりが、彼女。

まあ、その後、紆余曲折あったのは事実だけど、それは彼女に限ったことじゃない。

10か月でN3まで到達した3期生と彼女たちとでは、授業時間数が異なるので単純な比較はしてもらいたくないのだが、2期生の彼女は10か月でN4合格率98%という数字をたたき出したクラスで、今どきの学生らしく過ごし、、、決して悪い意味じゃない (笑)

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★この時点で、大半の学生は、限りなくN3レベルに近づいていました。★

3か月の介護課程を日本語で受講し、15か月の日本語ー介護クラスの修了式の直前に日本語能力試験を受験するというドタバタの中で、15か月でN3をすんなりクリア。その後、日本での2か月半の介護研修をはさんで、22か月目でN2まで到達した。

つまり、「日本語能力試験に合格する、させる」ということを第一義として、万難を排して取り組めば、15か月で十分にN2に合格していたと思うんだよね。やりようによっては、N1だって狙えたでしょ。

「合格」という意味では。

EPA「自然人の移動」の枠組みの中で看護師、介護士候補者を受け入れたのはベトナムが最初ではなく、インドネシアとフィリピンが先行している。もちろん、ベトナム人看護師養成支援事業や、中国からの准看護師を、、、などという、失敗と成功の繰り返しの中で、ベトナム人がしっかり実績を残してきたのは事実で、それがあったからこその外国人看護師・介護士の受け入れであったとは思う。

とは申せ、インドネシア、フィリピンのEPA事業の策定に関わった方たちのご苦労は、想像に難くない。それはそれは、壮絶な作業だったと思いますよ。敬意をこめて。

でもね、僕も含めた「外国人看護師候補者の日本受入れ」という難事業経験者には、各方面から相談なり、、、まあ、いろいろご連絡を受けたが、そのことに関して、特に僕は他言無用と考えている不愉快な思いもした、、、あ、書いちゃった(笑)

それで、創生期の国家試験合格状況が芳しくないと事態が聞こえてきて、まあ、「さもありなん」というのが僕の本音。

そんな時期にダナンで「ベトナム人医療福祉人材育成プロジェクト」が始まるということで、僕は「対岸の火事」と傍観していたんだけど、先日の記事にも書いた、、、

shibasen.hatenablog.com

「夢の中の夢のようなひとこと」に傍観できなくなり、初代日本語教師として赴任することになったのだった。

「ベトナムは、失敗できない。いや、させない」

と、意気込んでね(笑)

日越EPA第一バッチに参加しているダナンの1期生、2期生がスパッと一発で、全員が介護福祉士国家試験に合格してくれたらな、、、なんて夢を僕は見ているけど、それをもって「成功」というかどうかは別の話。だって、これは事業的にどうした、成功した、失敗したという話ではなくて、参加している個々人の人生の問題だから。 

さて、話を戻そう。

2期生の彼女たちの進路は、日本語課程に続く介護課程の日程的に、タッチの差で日越EPAの第一バッチに参加することは、正式には不可能だった、、、、でも、第一バッチに2期生が交じっているような気がしないでもないけど、、、、まあ、僕がここでゴチャゴチャ言うことじゃない(笑)

ちなみに、日本語能力試験N3受験の数日後が、日本語ー介護クラスの修了式だった。

彼女たちが選んだ進路とは、「N2の受験準備をしつつ、日本での3か月間の介護研修に参加し、半年後のN2に確実に合格してからEPAに参加し、飛び級(N2以上を持っていれば、ベトナムでの1年間の研修のほとんどが免除されるという、正式な制度)で第一バッチに合流しよう!」という、ウルトラCだった(笑)

 発案者?そりゃあ、、、、僕でしょ(笑)

斯くして「N2合格クラス」が発足することとなったのだ。はい、お仕事倍増でございます(笑)

いやいや、凄まじかったですよ。ええ。

介護場面のロールプレイや、研修先の中部日本のある地域の方言を交えた会話とか、、、、これが「敬語の学び」と微妙に絡んでいて、おもしろかった。内容は秘密。企業秘密(笑)

もちろん、5か月後には日本語能力試験が控えているわけで、その準備も並行して。ただ、語彙力に関しては、僕は基本的には自分で鍛えるものだと思っているから、もちろん方法論はもう教えてあるわけだから、「研修中に終わらせてきなさい。やってこなかったら、知らないよ」と突き放した。

それで、2月のテト(旧正月)明けに2か月半の研修に出したんだけど、その間に残念ながら日本での介護研修メンバーに漏れたのだけど「N2合格クラス」に参加し、ひとりでクラスを継続していた学生が、クラスとして初参加した「ダナン日本語スピーチコンテスト」で特別賞を受賞する一幕もあった。そう、ダナン外国語大学など日本語を専門として学ぶ3年生、4年生を向こうにまわしてね(笑)

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★今気づいたんだけど、この写真に写っている3期生は、全員が日越EPAの第2バッチで日本に来てますね★

この「特別賞」というのは、要するに審査員に加わっている「ダナン日本商工会」という、ベトナム中部の日本人会的な組織から提供の賞なんですね。その賞に選ばれたというのが、僕はミソだと思うんですよ。

今、私の友達は日本へ行って介護の研修を受けている。でも、残念ながら私は参加できなかった。それでも、私は日本で介護を勉強したい。日本で介護の仕事がしたい。

切々と語るスピーチは、一般的にスピーチコンテストで評価される部分とは別の部分で、他のスピーカーより秀でていたという評価だったのでしょう。

クラスでは決して優秀な学生ではなかった彼女が、このような結果を出したという点に、僕は、従来の日本語教育にある「斯くあるべし」という指導と、「この方向に導くためには、どうしたらいいのか、、、」という試行錯誤の中での指導との差異、それをどう今後に活かしていくのかということも含めて、ひも解いていく鍵になるように考えている。

たしかに、N3ですよ、持っているのは。でもね、何級持ってるかってのを評価の基準にしていると、評価がそこにあるからと指導の基準にしていると、見えてこない部分なんだろうなと実感したわけだ。

当日のビデオは、すぐに日本の法人へ送った。今見直しても、いいスピーチだったなと思う。

もちろん、そんな情報は日本に行っている研修生たちにもすぐに伝わるわけで、、、、さてさて、日本組はどう受け止めるのかな?と、僕はひとりニヤリとしたのだった。

 

長い話ですね。もう少し?お付き合いください。

【続く】 

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