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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

〜なら、AかBがいいです。【その1、金沢編】

日本語教育 歴史 漢文・漢字・漢語 追憶 遠征 鉄道

北陸新幹線が開業して、金沢が熱い。

「鉄」の僕としては新幹線の新線開業と言われれば血が騒ぐわけなのだが

「ひかりは西へ」の時代の印象が強くて、東北・上越新幹線の大宮開業ぐらいまでが追っかけの限界だった。

ひかりは西へ、、、、新幹線といえば「東京ー新大阪、最速ひかり号3時間10分」だったのが、岡山延伸で東海道・山陽新幹線となった。母方の祖母に連れられて広島県東条の祖母の実家に行ったときに乗ったのが、岡山延伸直後だったし、博多まで伸びたときは、大阪で降りるのにわざわざ同行の叔父におねだりして博多行に乗ったものだった。

東条の帰りに、車内販売で、岡山出身の祖父へのおみやげに籠に入った桃を買ったのだが、その売り子嬢の真似をする僕の横に戻ってきたお二人に、笑われた瞬間の恥ずかしさは、今でも忘れない(笑)そう「どこから来たの?」と問われ、東京と答えるか、大阪と答えるかで迷ってしまい、「恥ずかしがらんと、答えなあかんよ」と祖母に笑われた怒られたのも、忘れてないなあ(笑)

東北・上越新幹線が大宮発着で暫定開業したのは高校1年の冬で、その年の夏に廃止直前の上越線の特急「とき(朱鷺)」に乗って新潟までバドミントン部の合宿に行ったものだから、「ああ、最後に乗れてよかったな」と思った。

なんせ、生後3週間だかで母に抱かれて新大阪ー東京の新幹線に(当然記憶にはないのだけど)乗ったもんだから、そして、1年に3往復ぐらいは必ず、しかも小学校3年の夏からはひとりで新幹線に乗って大阪へ行っていたものだから、中学生時分にはもう新幹線には飽きてしまい、中央線&関西線経由(八王子ー塩尻ー名古屋ー奈良ー八尾)で大阪の母の実家に行くとか、東海道線の夜行急行「銀河」の臨時列車=寝台じゃなくて座席指定ので行くとか、そんな「あんち新幹線派」にいつの間にかなっていた。ああ、前橋の恩師のご自宅通いの帰りや、自主ゼミ合宿の帰りの「喜多方ラーメンツアー、大失敗で新幹線大名旅行でご帰還」の時に、わざと新幹線のビッフェでビールの立ち飲みとかはしたことある(笑)でもそれは、「新幹線」よりも「新幹線のビッフェ」の方が思いが優っていたわけであり、、、、そうだ、恩師をお連れして中国へ行った時、当時の日本ー西安直行便は名古屋発着のみだったので、行きのひかり号2階建て(100系)の食堂車で旅の興奮を後輩の女の子たちと語り合い、、、、今にして思えば「新幹線の最後の食堂車」だったんだよな、、、帰りも「食堂車で乾杯な!」と約束していたのだが、やってきたのはデビュー直後の食堂車がない「のぞみ」仕様の300系ひかり。それでも、それはそれで「300系」に興奮したものだ。

なんだ、けっこう新幹線の思い出あるじゃねえか(笑)【書き出すとキリがないので、この辺で、閑話休題】

いきなり新幹線の話が長くなったのだけど、なんでかと言うと、この写真である。

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【 ↑ 学部時代の友人、佐久間氏のFB記事から、ご本人に承諾を頂いて転載しました】

 先日、Facebookで学部時代の友人の記事を見ていて、フイタ!(笑)

金沢駅が、こんなになっちゃってたから!

「あれ?お前のツッコミはそっちかい!」という声が聞こえてきますが、その件は後で書きます。ええ、そっちが本題なんですけど、いろいろ思い出話がしたくなっちゃったので(笑)

 

大学2年の夏、初めて金沢に行った。

僕と同じクラスで、同じようにバドミントン部(活動は基本的に男女別だったけど)で、金沢出身の同級生(ふたつ年下)がいて、彼女が話す「金沢ことば」の心地よさが琴線に触れたんだな。

その年は「89年天安門事件」の年で、計画していた中国旅行は中止。泣く泣く「ひとり台湾旅行」を企画したのだが、その前になんとなく「金沢へ行ってみよう」かと。

池袋から夜行バスで早朝の金沢駅へ。彼女との待ち合わせの時間は8時半だったから、まだ近代化の前(地下駅化前)で旧型電車しか走っていなかった北陸鉄道浅野川線で内灘砂丘へ。それは、内灘砂丘へ行きたかったのではなく、浅野川電車に乗りたかったからであり、、、、、そこが井上靖先生の小説『北の海』の舞台であり、詩『流星』の「砂丘」だったと知るのは、数時間後に彼女に石川県立近代文学館(旧制第四高等学校、井上先生の母校で、現在の金沢大学の前身)に案内されてからのこと。

小雨の金沢城址(当時は金沢大学のキャンパスだった)、忍者寺(妙立寺)、市立図書館、近代文学館、兼六園、犀川(『北の海』に出てくるW坂)、武家屋敷と廻り、夕方から乾杯(笑)

石川県立近代文学館の前に立った時、旧制四高の記念碑と並んだ『流星』の詩碑に気付いた時の衝撃、、、、「Mちゃん!(彼女の名字)俺、今朝、この砂丘、行ってきた!」と叫んだなあ。

武家屋敷では、「Mちゃん!ここ、小田和正のネスカフェのコマーシャルの場所ジャン!」そう、小田さんが初めてテレビCMに直接出演した(楽曲提供なら、オフコース時代から無数にある)、あの場面なんだよなあ。

そう、「僕の金沢に対する知識」なんて、「Mちゃんの故郷に来た」以外はそんなもんだったのだ(笑)

 鞄の中には、新潮文庫版の『北の海』入ってたんだけどね。まだ読み始めで、舞台は伊豆の湯ヶ島だった。

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 そう、これこれ。その時の『北の海』未だに旅に出るときは持っていく青春のバイブルなんだけど、表紙もとれちゃってボロボロだねえ。あ、中国・西安で作った蔵書印が押してある。

 

さて、そろそろ本題へ向かいたいのだが、、、、

たしか、市立図書館に向かうバスだったと思うけど、「北國銀行」の支店の前を通りかかった。

僕「『きたぐに銀行』か。金沢らしいねえ」

Mちゃん「ちがうんよ。『ほっこく銀行』なんよ」

僕「そうなん?」

Mちゃん「そうなんって、陣内さん、最近Yくん(同じゼミの群馬方面の男性)と仲いいさけ、影響されたんかも知れんわいね〜」

僕「そうなんって、群馬だけじゃないでしょ?関西でも使うし、、、」

Mちゃん「そうなん?」

僕「ほら!(笑)」 

彼女の「〜さけ」(だから。関西弁の「〜さかい」と同じ?)「〜かも知れんわいね」(〜かも知れないよね)が、何か記憶に残ってるんだよね、今でも。

僕「うん、そりゃ、金沢は「きたぐに」ではないよね、、、、でも、「〜さけ」とか「〜わいね」とか「そうなん」とかも、関西弁と微妙に繋がりありそうだよね。」

Mちゃん「京ことばかも知れんわいね〜。なんか、語尾が柔らかいわ〜」

そうかも知れんわいね〜

 

【今になって、もう廃止されたけど、大阪から北陸本線廻りで金沢を経由する急行「きたぐに」はどうなるの?って今思ったけど、新潟行きだからいいのか(笑)「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」、、、ん?北国じゃなくて雪国、、、、北国の定義ってどこやねん?(笑)】

まあ、今日の話はそこじゃない(笑)

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その時金沢で買った本があるはずだと思って探したら、ありました。

「〜わいね」(接尾語)

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やはり、「〜わいね」は「肯定する接尾語」ながや〜(肯定のダメ押し。「なんですね」)

それで、、、こんな新聞記事を見かけたのだが、

www.hokkoku.co.jp

というわけで、やっと本題に戻ってきた(笑)

北國(きたぐにじゃなくて、ほっこく)新聞の記事にも

「金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいい」

日本に住んで、日常的に日本語を使っている人なら、それが日本人だろうが、外国にルーツがある日本人だろうが、生粋の外国人であろうが、「ああ、いつ(どの季節に)訪れても好いところですよって、そういうことなんだな」ってわかる。わかるんだけど 、僕は何かすわりの悪さというか、違和感というか、、、、、言葉って難しいなと思った。

これ、外国で、日本語を学んでいる日本語を母国語としない人たちが見たら、どのように感じるだろうか?いや、もしも、日本にいる我々が感じるように感じてくれたのなら、それはそれで僕(日本語なり国語なりを教えてきた立場で)も嬉しい。

でもね、観光立国を目指す(らしい)我が国で、今大いに注目されているこの町の表玄関に掲げられた、この大型タペストリー。どうやら金沢市の市庁舎にも掲げられているらしいのだが、この「キャッチコピー」、日本語学習者の眼と心には、どのように映るのだろうか。

批判ではなく、興味深いなあ、、、、と思う。

 

というのも、実はダナンの教室で、同じような作文を書いた学生がいたのだ。しかも、意味が二通りで。その話は【その2、ダナン編】に譲る。

 

長くなったので、先を急ぎましょう。

そんなわけで、思い出話が長くなっちゃったんだけど、Mちゃんと金沢を廻った翌日、ひとりで北陸線の特急「しらさぎ」に乗って福井へと向かった。

当時の金沢駅はまだ高架化工事も始まっておらず、ほんと地方都市の県庁所在地の駅&駅前という感じで、いいなあと思った覚えがある。(だから、冒頭の写真を見てフキダシタわけ(笑))

福井へ行ったのは、曹洞宗の総本山「永平寺」を参拝したかったからである、、、、、のと、(当時の)京福電気鉄道越前本線・永平寺線に乗りたかったので(笑)

途中で永平寺線に乗り換えて永平寺駅に着き、永平寺への門前町を歩いていくと、前からどこかで見たような顔の男が歩いてきたのだ、、、、、

僕「あ、あれ?」

彼「じ、陣内さん!何やってんの?」

僕「ちょっと、(京福電車に乗りに)永平寺まで(笑)昨日、金沢でMちゃんと会ったんだよ」

彼「あ、そうなんだ!」

そうか、彼の実家(だったか、ご両親だかの実家)は福井だった。今だったら、もう参拝なんて横に置いておいて、茶店で一献なんだろうけど、とりあえず挨拶だけして別れた。

その彼が、、、、実は ↓↓↓↓ このたび佳き日を迎える人なんよ(笑)

shibasen.hatenablog.com

そんな夏の暑い日を経験した金沢。

その年の暮れに、僕はもう一度金沢に行っている。 輪島の朝市や兼六園の雪づりが見たかったのと、室生犀星や泉鏡花や徳田秋声、折口信夫などの文学散歩をしたかったのだ。もちろん、内灘砂丘にある井上靖先生の文学碑も見たかった。あとは、市立図書館で前田利家関係の資料(『史記』の重要な版本の一部は、前田が仙台に移る時にちゃんと持って行ってくれたから実存するという側面もあるのだ)を漁りに行く目的もあったのだ。

雪は少なかったけど、日本海の寒風は本当に寒かった、、、、でも、心地よかった。

 

だから、「夏の金沢「も」冬の金沢「も」よかった。」

 

でもね、春や秋を経験していないから、「夏の金沢「か」冬の金沢「が」いいです。」とは言わないし、言えないんだな。

さて、続きは【その2、ダナン編】で。

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