努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

寝台特急「はやぶさ」の思い出

北海道へ行く「北斗星」が完全にその使命を終えた。

これで「♪上野発の夜行列車降りたときから~」の「上野発の夜行列車」はなくなっちゃったわけで、急行「八甲田」「津軽」「おが」などの「ミニ周遊券、自由席なら急行券不要」の恩恵で学生時代に楽しんでいたことも、思い出の彼方に行ってしまった。

 

これで、「ブルートレイン」が死語となり、上野東京ラインの開業で「ターミナル」までなくなっちゃったので、「ターミナルケア」の「ターミナル」を「鉄道の終着駅」に例えて教えてきた日本語教師としては、、、、、甚だ迷惑な話である(笑)

 

ブルートレインと言えば、九州行きの寝台列車群がそのメインの役割を担っていたのだけど、大阪という夜行列車で移動するに中途半端な距離に母の実家があった僕には、九州ブルトレよりも、「大阪行き寝台急行・銀河」の方が思い出深い。九州ブルトレと同じ車両を使っているのに、「急行」の設定の分だけお得という良心的な設定。寝ていくんだから特急でも急行でもかまわないんだけど、特急で設定しちゃうと一所懸命走らなければならないわけで、そうすると中途半端な時間についちゃうんだよね。

新幹線の最終の後に出発して、翌朝の新幹線の始発より早く着く。この絶妙な設定、好きだったなあ。東名高速バスのドリーム号とともに。

 

さてと、コンビニに行ったらこんなの売ってました。

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 ビールを買いに行ったつもりはなかったのだけど、欲しくなりますわいね(なぜか金沢弁)

九州ブルトレに乗った思い出は3回しかなく、学生時代に吉野ヶ里遺跡とか、多久の孔子廟とかを見に行った時の行きの「富士」と帰りの「はやぶさ」に乗ったのが最初だった。阪神淡路大震災の半年後ぐらいの時で、熱海で海を見ながら駅弁を食べ、夕焼けの富士山を眺めた後、神戸付近まで寝ないで起きていたのだった。あの真っ暗な神戸の町は、忘れられない。もう食堂車も営業していなかったけれど、夜汽車の名残は残っていた。

そういえば、岡山で後輩の結婚式に出席した後、瀬戸大橋を渡ってきた「瀬戸」で帰ったことがあったな。

最後に乗ったのは、「はやぶさ」だった。

学生時代の悪友という名の親友が結婚するというので、奥さんの地元の熊本での披露宴の司会を仰せつかり、事前の打ち合わせで熊本へ行くことになった。せっかくだからと廃止直前の「はやぶさ」で行ったのだが、ゲリラ豪雨の影響で、名古屋の手前の岡崎駅で7時間半足止め。車掌さんがオモシロい人で「熊本まで付きあってくださいよ~」(笑)僕もオモシロそうだし、まさか7時間も遅れるとは思ってないから「ええ、そのつもりです」って言ってたんだけど、流石にホテルの担当者との約束の時間もあったので、名古屋から新幹線に乗り換えた。

ちなみに、新郎という悪友という名の親友は、「始発の羽田行きリムジンバスが来ない!というまか不思議な事件の影響で飛行機に乗り遅れたものの、後発の飛行機で移動。いつの間にか地上の僕は追い抜かれてしまい、彼は新婦と一緒に熊本駅の改札で僕を出迎えてくれたのだった(笑)

京王高尾線、始発電車が土砂崩れに乗り上げて脱線という事故が起こった日のできごとだった。

 

夜行列車に乗った回数は、それこそ数え切れないけれど、実は中国では寝台車で寝て、朝食は食堂車なんて経験もしている。ベトナムでは寝台列車に乗った経験はないなあ。夜行にも乗ってるけど、座席車だった。

 

JRは豪華な観光列車を走らせるのに一所懸命な様子だけど、なんか本末転倒だと思っちゃうのは、僕だけなのだろうか。

よし!「富士」のヘッドマーク、買いに行こう!

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