努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

恩師と「佐藤春夫と太宰治」の思い出

「太宰治が第2回芥川賞の選考委員である佐藤春夫に対して宛てた、芥川賞受賞を懇願する書簡が発見された」という記事を読んで、びっくりした。

 

文献学というか書誌学的な発見というのは、専門的に関係があるか、よほどマニアックな趣味嗜好がない限り「ふ~ん、、、」でおしまいである(笑)

でもね、、、 これは、大変な発見だと思う。

www.jiji.com

ただ、この手紙、、、、読んだ記憶があるんだよね。

もちろん、この太宰の書簡を、佐藤春夫が『芥川賞』という作品の中に引用しているのは事実で、それを読んだのかもしれないけど、、、、でも、ちがうような気がするんだよ。

 

大学に入って指導教官である恩師・水澤利忠博士に「太宰かぶれ」であることを告白すると、我が恩師は「そうか、キミねえ(ここまで口癖)太宰を読むってことは、正しい学生の本の読み方なんだぞ(未だ意味不明)」と。続けて、こんな話をしてくれた。

 

「キミねえ、僕が学生のころ、佐藤春夫さんの家で家庭教師をしていたらね、、、、(おそらく、家庭教師の生徒さんは、後の心理学者・佐藤方哉博士のことだろう。恩師の母校の附属中高の卒業なので、また時期的にも話の辻褄は合う)太宰がねえ、金の無心に来たんだよ」

「いやあ、キミねえ、佐藤さんは不在だったからね、僕がそう言ったんだけれども、太宰はね、佐藤さんの家の玄関口に正座して、帰らないんだよ」

 

その後どうなったのかという話は残念ながら失念してしまったのだけれど、、、、、その話を伺ってから10年近くたって、こんなことがあった。

大学院を出る年の初夏、和歌山大学での日本秦漢史研究会だったか、東洋史学会だったかに出席した帰りに、ひとりで新宮と言う町に寄った。秦の始皇帝の命で「不老不死の薬」を求めて日本へやって来た(とされる)徐福の(とされる)墓がある(そんな墓は全国各地にあるのだが)というので行ってみたのだ。すると、、、、、びっくりですよ。新宮の駅のそばに新宮市近代文学館があり、その建物は現在の東京・文京区から移設した佐藤春男旧邸を移設したものであると、、、。興奮気味に文学館の入り口である玄関に入り、、、、「こ、ここか、、、太宰が金の無心に来て座り込んだのは、、、、」

 

亀井勝一郎氏が責任編集した角川文庫の『愛と苦悩の手紙』(太宰治の書簡を集めたもの)が手元にある。浪人時代に、当時絶版になった本で神田の古本屋で3千円ぐらいの値段が付いており手が出ず、同じ本を予備校があった高円寺の古本屋で買った。ワゴンセールの100円だった(笑)この本には、佐藤春夫さん提供の書簡は、収録されていない。

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太宰が佐藤春夫とやりとりしたであろうことは、この書簡でもわかるのだけど。

【角川文庫『愛と苦悩の手紙』太宰治 亀井勝一郎編・底本は筑摩書房の『太宰治全集』】

どうにも気になって、自宅の蔵書の、筑摩書房の現代日本文学全集『佐藤春夫集』には、件の『芥川賞』すら載っていない。もしからしたらと思って奥野健男の『太宰治論』を捲ってみたけれども、違う。あ、そもそも僕は、この人嫌い(笑)

 

まあ、もしかしたら第一回芥川賞落選後の『川端康成へ』のインパクトが強くて、ごっちゃになっているのかなあ?でも。文体も内容も明らかに違うし、、、とも思うけど、、、。 

 

ま、ひとつ言えることは、もしも、今回発見されたという書簡を、僕が何らかの形で読んでいたとするならば、恩師・水澤利忠が書き写すかなにかして持っていたんじゃないのかなあ、、、でも、もしそうだったなら、はっきり覚えてそうなんだけど(笑)

もちろん、僕の覚え違いというか勘違いなのだろうけどね(笑)

 

恩師は学問的な業績だけでなく、多彩な人脈と行動力の持ち主だった。

「キミねえ、井上さんの家に行くから付いてきなさい」と言われ、「井上さんって、誰?」と思いつつ付いていけば井上靖だった。

「キミねえ、平山さんの家に行くぞ」と鎌倉まで付いていくと平山郁夫画伯だった。

授業中に「本田宗一郎の家の門には、こんなことが書いてあるんだ。牛乳を配達していると、いつも励まされたんだ」と。実際に「新聞屋さん、牛乳屋さん、いつもありがとう」と張り紙がしてあった。

 

「ほんまかいな!」と思うことは屡々だったけど、その度に何度も驚かされた。

でも、それでも、「太宰が佐藤春夫に金の無心に来た。僕が断ったんだ」という話以上の衝撃は、、、、、、今回の「太宰治、佐藤春夫に芥川賞を懇願した書簡発見」よりも遥かに上だった。

 

恩師が鬼籍に入って、この年末で2年になる。

恩師水澤利忠博士の薫陶を受けた最後の弟子の末席を汚した者として、まだまだ教えて頂くべきことは多かったのにと、その機会を逃してしまったことを残念に思うばかりである。 

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