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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

ああ、知らないんだね(笑)「義を見てせざるは勇なきなり」

いきなり、漫画の引用で恐縮である。 

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『おたんこナース』② 佐々木倫子著・原案 小林光恵(1996年・小学館)p114

 「血を見てせざるは、勇なきなり」

僕の専門は(みんな忘れているかもしれないけれど)「漢文」であり(笑)この古典(文法)で書かれた一文の意味は当然わかるわけなのだけど、まあ、看護学生が看護学校に入学した当初に教わることばだと知ったのは、1998年の話。僕の初代「教え子ナース」であり、日本人一番弟子のナース・ハカマダからの情報であった。

まあ、要するに、大怪我の患者さんの大量出血や、手術補助の時に、新人の看護師や看護学生が、初体験の緊張もあってか卒倒してしまうケースが多く、それはそれで「通過儀礼」という側面もあるらしいのだけど、 「冷やかす」ことばなのらしい。

簡単に言うと、「血を見て何もできなくなっちゃうのは、勇気がないからよ、、、、、自分の仕事をよく考えなさいよ」ってことなのだろう。

「言い得て妙」だよね。確かに仕事になんないもんね。

 

このことば、元はと言えば『論語』為政第二のことばである。「見義不為無勇也」(義を見て為さざる=せざるは勇なきなり)

もちろんいろいろな解釈ができるし、『論語』の註釈というのは古来からたくさんある。当然、様々な解釈ができるし、いわゆる「口語訳」なんて訳した人の解釈によって千差万別である。誰かの訳を支持することはできるけど、全否定することはできない、と僕は考える。

だから、一般的な訳として「こうするのが正しいと思ったり判断したり知っていたりするのに、それを実行しないのは、勇気がない者、、、臆病者である」としておこう。

 

ちなみに、我が恩師である新島淳良先生の訳は、次のようになる。

「先生(子=孔子)曰く、自分の家の仏でもないものを祭るのは御利益目当てに違いない。自分の家の仏でないものでも、一度祭ったらそれを追い出すのは余程勇気のいることであるに違いない」

『論語 全訳と吟味』新島淳良・1984年・新地書房・p81

 

新島先生は「思いきって意訳した。私はこの章が好きだ。」と書いている。

 

話は少し展開して、ベトナムへ飛ぶ。

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ベトナムはダナンで入手した、古代中国の儒教の経書の中から『大學』『中庸』『論語』『孟子』をまとめた『四書』と呼ばれる書物である。

ベトナムは「非漢字圏」であると勘違いしていたり、言い張ったりしている人がいるけど、ベトナムは「漢字圏」である。(その話は、横に置く)

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当然、古いベトナム語音で読むこともできるし、(日本語で言えば、すごく簡単に言うと訓読するようなもの)現代ベトナム語訳も存在する。そして、当然のごとく、現代ベトナム語に訳したときには様々な解釈が存在する。

また、同じような意味の「ベトナムの諺」もあるようだ。

だから、「血を見てせざるは~」の話をベトナムの「日本で看護を学ぼうとする学生」や、「日本語で日本の介護を学ぼうとする看護学生」にしたときには、『論語』の解釈から入った。それはそれで、、、、オモシロかった(笑)

もう15年以上前から、日本で看護や介護を学ぼう、看護や介護の現場で働こうとするとする学生ですら、、、「ですら」と言っては彼女たちに失礼だ。外国人である彼女たちも、中国の古典を自分たちのお国の解釈を意識しつつ、それぞれの立場で「意訳」理解しようとしていた。

 

この件、長くなるから省略(笑)

 

さてと、ですよ、なぜこんな話を持ち出したのかである。

ここから先が本題であるが、長く書く気はない。

安保関連法案を審議している(ふりをしている)参院平和安全法制特別委員会で、公聴会が開かれた(ことになっている。まともな民主主義国家なら、「公聴会」ってのは審議の最初にやるべきものである、、、のが常識であると、僕は認識している)

そこで、反対派の大学生が「義を見てせざるは勇なきなり」を引用して、次の様に述べたとのことである。

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私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いているのです。政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民ひとりひとりの生命を比べてはなりません。


与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、「義を見てせざるは勇なきなり」です。

政治のことをまともに考えることが、馬鹿らしいことだと、思わせないでください。

headlines.yahoo.co.jp

 

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新島先生の意訳をさらに意訳すれば、

「自分の主義主張と異なる異ならないは別として、所属している政党や派閥の指示に従うことは、自分の御利益目当てに違いない。木(テメエの利益)を見て森(国の向くべき方向)を議論しなかった【木を見て森を見ず】結果、自分が困る結果になっても、一度その方向に動き出したら、その中枢にいるお馬鹿さんを追い出すのは余程勇気のいることであるに違いない」

と、なりますかな。断っておくが、僕には明確な政治的な主義主張があるわけではない。思うところはあるけれども、今まで発信していないのだから、今更自分の立ち位置を明確にする必要もないと思うし、するつもりもない。

 

 

彼(その学生さん)、彼らの行動や主義主張を明確に把握しているわけではないので、その言動に対して言うつもりはないのだけど、昨日の国会での発言は「言い得て妙」であると、僕は思った。思ったんだけども、、、、僕はこの発言をラジオで耳にした。国会中継ではないが、実際の発言を録音したものだった。

僕が耳にしたのは、あるラジオ局(東京キー局)の昼間の情報番組である。この局のこの時間帯の番組は、番組名こそ何度も改編されているけれども、わりとまともな意見なり情報を聴くことができると、僕は思っていた。昨日まではね(笑)10年以上前からそう思ってた。

そのコメンテーターがどのような立場の人間で、何故にその国会に傍聴に行き、その番組で何某かのことばを述べたのか知らんけど(そもそも、自分の原稿書きに夢中になっていたから、一所懸命聴いていたわけではない)そのコメンテーターたちの「コメント」には笑えた、、、というか、吹き出した。

「勇見てせざるは、、、って、大学生なんだからさ、もっと若者らしいことばで語って欲しかったですね。意味わかんないよ

 

なんだ?コイツ。意味わかんね(大爆笑)

あと、「寝てないで聴いてください」って大学生に指摘されちゃった議員先生様たちもね(阿呆だね)

 

ちなみに、高校の国語の教科書にも載ってまっせ(笑)

 

解説者だかコメンテーターだか有識者だか議員先生さまだか知らねーけど、情けねえな。為政者も在野の人間も含めた日本人はって、思った次第。

 

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