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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

ベトナム人看護師、黎明期の思い出

 僕が「ベトナム人の看護学校受験生」の「国語の先生」に最初になったのは、1997年の9月だった。彼女たち3人は、日本の協同組合(現在は発展的にNPO法人になっている)が推進していたベトナム人看護師養成支援事業の2期生だった。

奉職していた予備校で、たまたま看護・福祉・医療技術系コースをリスタートさせたばかりだった僕たちは、さあ、これから本格的に実績を作っていこうという時だった。

予備校や、講師仲間の理解と協力を得て、3人は県立の医療短大や、看護専門学校に進学。翌年の3期生は10名が来日し、やはり全員が合格。

 その成功の裏側でどれだけ多くの犠牲が払われていたかも知らずに、有頂天になった僕は、講師仲間に背中を押されて初めてのベトナム・ハノイの日本語センターに向かったのだった。1999年8月のお盆休みだった。

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きれいな画像のファイルがみつからない(笑)前列左端が僕ね。

日本語を0初級スタートで学び始めて12か月。これから日本語能力試験(旧)2級受験準備のラストスパートという時期に、「日本の看護学校受験の国語」の授業をやろうという無謀な企画。無謀なんだけど、当時の東京都立看護専門学校の国語は「古文」の知識も必要。もちろんこの夏は古文には触れなかったけれど、「種まき」が必要だったのだ。

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この授業、「ベトナムで行われた初めての、日本語による日本の国語の授業」だったんちゃいますか?(笑)(次の年には、「ベトナムで行われた、初めての日本語による、日本の古文の授業」に進化していく)

ちなみに今日の話題の主人公は、この写真の最前列奥に写っている。

秋も深まったころ、事務局長(現在のNPOの常務理事)から「タイ・バンコクでの出願に間に合わなかったから、日本で「私費留学生統一試験」を受験させるので、万事よろしく」(そんな言い方ではなくて、もっともっと「よろしくね」的な(笑))と、連絡が入った。

「ベトナム人の、日本の看護専門学校受験準備指導」は2回も経験して(実は勘違いであったのだけど)自信も持っていたんだけど、「私費留学生統一試験」なんて知らんよ!どうするの?

上を下への大騒ぎとなったんだけど、あの予備校「できることは何でもしましょう」という予備校だったので、宿舎も「予備校の主」みたいな先生のご自宅の「女子寮」に決まり、受け入れ体勢を調えた。協力頂いたみなさんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいである。

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来日の日の晩の、お寿司初体験。成田空港に迎えに行ったときの(僕の)緊張感は、半端なかったですよ、はい。

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私費留学生統一試験、会場の明治大学駿河台キャンパス前で。Nさん(事務局長)若いな。お供の息子さん(右)は、今では文化人類学の研究者になってるし、お嬢さん(手前)もアメリカ留学中だし。

いつの間にか「追い越されちゃった感」満載(笑)

思い出話は長くなるので、、、、本題へ。

www.kenbi-style.com

このサイト自体知らなかったし、彼女が紹介されていることも知らなかった。本人がfacebookにUPしていたので、あらら、と思いつつ、懐かしく拝見し「あのころ」を思い出した次第。

秋田に受験に行ったときに雪合戦をした写真があるはずなんだけど、見つからない。県立の看護学院を他の子たちが受験している間に、夕方の留学生特別入試の面接試験だけだった彼女と「きりたんぽ」食べたなあ。

「だるま弁当」が駅弁の駅の近く、我が恩師の地元にある大学の医学部保健学科に進学した彼女は、まあ、それそれはいろいろな経験をしながら、今はアメリカにいる。

彼女と出会って16年。未だ夢をあきらめずに、追っかけている姿は美しい。

時々、困ったときに思い出したように連絡をくれるのも、可愛いし、嬉しいよね。そういえば、ベトナム・ダナンに赴任している僕と、アメリカから、「日本の諸事情」の相談をメッセンジャーでするという、なんともグローバルなこともやったっけ。おかげで、ベトナムとアメリカの時差を覚えちまったぜ(笑)

数年の内に、夢を叶えて日本に戻ってくるようだけど、紆余曲折いろいろあってこそでしょ?慌てずに、その時その時の最善の道を選択しながら歩んで欲しいと思う。

ん?日本に「戻ってくる」で良いのか?(笑)

 

ところで、このサイトの「看護師列伝」的なコーナー、日本人の教え子もいないかな?と思って探したら、、、、、、残念ながら日本人はいなかったけど、ベトナム人はいました。

www.kenbi-style.com

正確に言うと、彼女は教え子ではないな。

4期生の受験が終わって、1期生の彼女が看護学校卒業まで住んでいたアパートに学生たちを移動させた翌日に、彼女が様子を見に来てくれたのが最初に会った時だった。

秋田に受験に行った子の1人が、繰り上げ合格と言うことで事務局から連絡を受けた僕が伝えに行き、「努くん特製チキンカレー」を作っていた時に現れた彼女は、「私の時の先生は、こんなことしてくれなかった!」とムクレタのだった(笑)

教室で会ったことはないのだけど、プロジェクトのこととか、看護のこととか、ベトナムのこととか、けっこう深い話をした覚えがある。

その後、ハノイに赴任した僕が授業を終えて講師室に戻ると、ハノイの病院に研修に来ていた彼女が訪ねてきてくれていた。僕は日本での看護師生活のつもりで「どう?慣れた?」と尋ねると「生活に慣れなくて、大変ですよ~」「生活って、もう4年目でしょ?」、、、すると彼女は「違いますよ!ベトナムですよ、ベトナム!もう道、渡れませんよ~!」あ、そういうことね(笑)

日本に戻ってからも、何度か会ったな。いちど千葉の館山で旅仲間で作っていたML仲間のバーベキューに来てくれたことがあった。

その時の写真。

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元気よすぎて、、、、僕の仲間には一番人気でした(笑)

そんな彼女も、今では日本の最高学府の最高峰の大学院を修了した学者さん。

時々連絡取り合うけれど、、、、恐れ多い存在なんだよねえ~。

それはそれで、嬉しいんだけどさ。

 

ホントに、今日は「いつの間にか追い抜かされた感」満載である(笑) 

 

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