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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

プロレス、見なくなったなあ

最近、あえてまとめて(連続で)ブログ記事を投稿しておいて、実際には指定しておいた時間にUPされるという「予約投稿」という技を覚えた。

だから、書きためてあった記事を小出しにUPしていこうと思う。じゃないと、「夏の終わり」の旧道散歩が、冬になってUPされることになってしまうのだ(笑)

また、昨日のように「わざと」自宅にいないはずの時間を指定して「予約投稿」したところ、案の定「行かなかったんですか?」とメールが届いた。

そりゃ行くよ。仕事なんだから(笑)

そんなわけで(どんなわけだ?)今日もあえて授業中であるはずの時間を狙って予約投稿してみる。

 

さてさて、僕はわりとませたガキで、ことスポーツのテレビ観戦は小学校の低学年に目覚めた。アメリカンフットボールは小学校3年ぐらいにはだいたいルールがわかっていたし、木曜夜8時の東京12チャンネル(現在のテレビ東京)のローラーゲームなんてのも見てた。東京ボンバーズ VS サンダーバードなんて、同世代の方は意外と覚えているのではなかろうか。小学校1年生だった。

まあ、野球はギリギリ長嶋選手(息子の一茂ではない)の現役時代だったし、王選手の756号ホームラン(アメリカ大リーグのハンクアーロン選手の世界記録を抜いたとき)なんてのは、テレビでしっかり見ていた。あれ、放送開始直前だったんだよね(笑)

 それで、プロレスの話である。小学校高学年から金曜の夜8時は「太陽に吠えろ」や「金八先生」ではなく「ワールドプロレスリング」(新日本プロレス=猪木の方)だったし、土曜の夜8時は「欽ドン」でも「全員集合」でも「ひょうきん族」でもなく「全日本プロレス中継」(馬場の方)だった。

そもそも、「猪木の方」「馬場の方」という言い方そのものが死語になって久しいのであるが、僕は「馬場の方の全日本派」からスタートして、近年は再評価されているものの当時は「世紀の大凡戦」と酷評された「猪木vsアリの異種格闘技戦(プロレス対ボクシング)」あたりから、猪木信者だった。ところが「革命戦士・長州力」に周囲が熱狂するほど共感できず、藤波との「名勝負数え歌」も自然と藤波を応援したのだが、勢いは長州にあったわけで、、、案外、僕は「保守派」なのかもしれない、、、全日派に戻っていった。ところが、、、あれは浪人1年目だったと思うけど、長州率いる維新軍団が全日に転戦。 

横綱・輪島のプロレス参戦や、天龍対長州の抗争よりも、猪木対ブロディの方がオモシロくて親日派に出戻り。そして、「たけしプロレス軍団」にしらけてしまった。

このあと、大学に合格してひとり暮らしを始めるまでの数年間(多浪)、、、予備校や大学からの帰りの電車で読む「東スポ(東京スポーツ新聞)」や「週プロ(週刊プロレス)」を読む程度で、、、、いわゆる「活字プロレス」の世界で満足してしまった、、、というよりも、要するにテレビのプロレス中継の時間帯に、家にはいなかったのだ、、、家にはビデオなかったし。

そもそも、プロレスがテレビから淘汰され始めてもいたのだ。

やはり長くなっちゃうな(笑)、、、、僕にとってのテレビの中のプロレスは、「猪木対アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェット・シン、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、、、たち」であり、「馬場対ハリーレイスや、ニック・ボック・ウインクル、バーン・ガニア、、、たち」であり、「馬場・鶴田組対ザ・ファンクス」であり、、、、馬場さんのNWA王者奪取であり、ジャンボ鶴田のAWA奪取なのだ。

大学2年の時(1989年)に、東京ドームのプロレス初開催&(旧)ソ連選手の初参戦、、、猪木の異種格闘技戦での初惨敗事件があって(実は、僕の初生プロレス観戦)、そのころから猪木さんは政界へと転身していく。その選挙戦を秘書として戦ったのが、現在の文部科学大臣なんだよね(笑)

ちなみに、その後なんどか見に行った東京ドームで、「(晩年の)猪木対(まだレスラーだった)馳浩その後の文科大臣」卍固めで猪木の勝ちなんてのも見た。だから、先日の国会中継で「猪木議員の馳文科大臣に対する代表質問と答弁」なんてのは、失笑を禁じ得なかった、、、、緊張してる馳大臣にね(笑)

一世を風靡した「闘魂三銃士」の若いころの無鉄砲な活躍には共感できたし、応援もした。2階席がほとんど空席の国技館で、長州が怪我で欠場中の藤波や木村のオリジナル技を使って、若かった橋本真也の大きな壁になったのも見た。長州が藤波のドラゴンスリーパーを出した瞬間に、一緒に行った友達(彼が数日前のTV中継のチケットプレゼントに応募したら、難なく2枚送られてきた招待券で「ます席」に座ることができたのだ、、、それくらい、プロレスは低迷期だった)と共に「お、お~」と叫び、、、帰宅途中でビール飲みながら食べたラーメン屋で、「長州、男気あるなあ。見直したよ」と語り合ったものだ。

学生時代は話の合う観戦仲間がいたり、予備校でバイトをしていた女の子と、親日本の東京ドーム大会の度にデートしたりしたものだ(笑)周囲は「あの二人は、プロレス観戦が目的なのか、デートが目的なのか」と噂していたらしいが、僕も彼女も「両方だよ~ん」と笑って答えてたなあ(笑)

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1990年の本だから、大学4年目か。そのころは、年に何回かは見に行ってたし、テレビ中継も見てた。

 

なぜ、今日になっていきなりプロレスなのかというと、先日、天龍源一郎選手の引退試合があった。情報としては知っていたのだけど、そのうち何らかの形で映像を見ることができるんじゃないかな?と期待はしている。そう、天龍が猪木に、東京ドームのシングルマッチでフォール勝ち。日本人で初めて、そして唯一の「馬場・猪木」の両巨頭に勝った男になった試合を見たのが、、、、、僕の最後のプロレス生観戦だったのだ。何年前のことかも、ちょっと記憶にないんだけど、、、1994年だって。もう20年経ったんだね。昨日、引退試合の記事が載っている東スポを買おうかと思ったんだけど、手に入れ損ねた。

先日、テレビのワイドショーのインタビューで天龍さんが「師匠のジャイアント馬場さん、共に戦ったジャンボ鶴田選手をはじめ、病気でゴールできなかった諸先輩が多い中で、ゴールまでたどり着けたことは感慨深いです」と語っていた。そう、馬場さんは「生涯現役」のまま先立ってしまったし、ジャンボは肝炎に倒れて日本ではドナーが見つからず、海外で生体肝移植の手術中の急変で帰らぬ人になったのだった。このブログに名前を挙げたレスラーたちも、鬼籍に入られた方が多い。

 

それで、今朝の、、、

www.nikkansports.com

ジャンボがAWA王座を奪取した相手。もう80歳だったんですね。

 

土曜の深夜に「ワールドプロレスリング」をテレビ朝日が中継している。テーマソングは昔と変わらないから、懐かしく見ることもあるけど、、、、、僕の心の中の「プロレス中継」で見たプロレスとは、別物なんだよなあ。最近は女性にも人気があって、「プ女子」なんて言葉もあるらしいから、それはそれでよいのだろうけど。

僕の思い出の「テレビの中のプロレス」は、猪木だったり、馬場だったり、ジャンボだったり、天龍だったり、、、、なんだよな。

 

実は、天龍引退の11月15日にアップするつもりで書き始めていた記事なのだが、今朝の訃報に接しての投稿なんです。

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