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努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

43年前の幼稚園と、35年ぶりの友(船田遺跡編)

八王子 恩師 散策・散歩 歴史 追憶

思いがけず話がずれてしまったのだが、散歩の話に戻る。

shibasen.hatenablog.com

前回の散歩の記事はこちら。↑ ↑ ↑

地元市の川沿いに歩いて、ふと思い立って卒園した幼稚園へ。その後、入学した小学校の前にある「人形塚公園」まで来たところで、中学2年の時の友人とfacebookで偶然再会したところまでは既に書いた。彼との話には後日談があるのだが、今回の記事では、まずこの日の散歩を終わらせなければならない(笑)

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 以前はこのあたり(小学校のあたり)まで団地が広がっていたのだが、もう15年以上前に始まった「都営長房団地建替事業」によって、昔の面影はほとんど残っていない。僕が住んでいた場所はもっと西の方だったのだが、親父が他界した直後に様子を見に行ってみたのだけれど、郵便局がかろうじて当時のおもかげを残している程度だった。わりと賑わっていた商店街も、ゴーストタウンに近い状態だったけど、文房具屋、写真店、和菓子屋、おでん屋とスーパーは僕の子供のころと変わらない場所に残っていた。写真店のおじさんの姿がちらっと見えたのだが、声をかければ覚えているかもしれないと思ったりして。

写真のように、この団地の東端のあたりはほとんどが空き地になっていて、ところどころに昔の建物が残っていたりもする。事情はよく分からないんだけど、立ち退きが完了していない号棟もあるらしい。

さて、ここまで来たからには寄らねばならないところがある。

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 史跡船田石器時代遺跡の碑である。

ここは長房児童館の裏側の広場に、この石碑が残っているだけなのだが、肝心の遺跡の方は埋め戻された状態での保存である。

1927年(昭和2年)に発掘調査が行われ、今の時代区分でいえば縄文時代後期の敷石住居が発掘された。当時としては非常に希少価値が高い遺構だったので、翌年には国の史跡に指定されたらしい。

昔は巨大団地の一角にポツンと立っていた印象だったのだが、今となってはねえ。上の写真の左奥に見える小学校の校舎と体育館、、、、これも古いタイプの体育館だよね。

 

そこで、次の写真を見ていただきたい。

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まったく同じ場所で撮影された写真である。37年前はこんな団地の中にあったのだ。赤の ← の子供が、小学校6年生の僕である(笑)今はもう存在しない近鉄バファローズの三色帽子を被ってますな。この帽子、1978年(昭和53年)の当時は2期制シーズンだったパリーグの後期から変更されたもので、夏休みに大阪の母の実家に行った折に手に入れたもの。東京ではまだ手に入らなかったんだけど、すかさず大阪で手に入れてきた。クラスの女の子によく「つぎはぎ帽子」って言われたなあ(笑)

話がそれた。

この写真は1978年12月発行の『文化評論』という雑誌に掲載されたもの。「日本の教師群像」というシリーズものの記事なのだが、、、、

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 「郷土クラブ」が紙幅を割いて紹介されている。ちなみに青い丸の中に先生の名前が紹介されているのだが、峰尾先生が小学校5・6年の担任。写真の木又先生が4年の時の担任であり、郷土クラブの顧問だった。本文右下の赤線部に「ある子どもは千葉県の加曾利貝塚を見てきましたと得意そうにそのパンフレットをみせてくれた」とあるんだけど、、、、それ、僕ですから~(笑)あと、加曾利貝塚には4年の夏休みにクラスの希望者と、木又先生とで行ったのだった。

というわけで、この雑誌はどこかにあるはずだと思って探したらありましたよ。まあ、発行元を見ても、内容を見ても「日教組」系、「日本共産党」系の雑誌なんだけど、、、、ははん、だから峰尾先生、この取材の時に行かなかったんだな。

まあ、いいや。

実はこの長房団地、太平洋戦争中は陸軍の幼年学校があった台地で、遺跡の上に幼年学校も団地も作られていたんですね。高度経済成長期の産物という意味では、この写真の対比はオモシロいと思う。

 

さてと、商店街のあたりまでは行ってみようかなと思って歩いたんだけど、雨がぽつぽつ降ってきたので引き返す。少し足を延ばせば「方形周溝墓」と呼ばれる初期型の古墳が公園の柵の中に残っているはずなんだけど、そのあたりは別の「散歩=京王御陵線の廃線跡の散策」で行くつもりなので、今日はおしまい。

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本日の散歩道はこんな感じ。

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旧甲州街道の道しるべを眺めつつ、、、、、長房団地入口の交差点の辺りにあるのだが、わずかな距離だけど旧道が残っている。

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 ああ、この週末(先週末)は八王子の「いちょう祭り」だなあと、思いつつ、、、、ああ、オフクロが他界したのもこの時期で、いちょう祭りの当日が葬儀だったなあと、お世話になった葬儀屋の前を通って、中央図書館への道を急いだのだった。

 

この「いちょう祭り」が、実は後日の「再会」につながるんだな。

【続く】

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