読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

【外伝】八王子・追分の交差点は、高所恐怖症の僕には渡れない!(笑)【七福神、その5】

八王子七福神めぐり 八王子 散策・散歩 追憶

1月2日に敢行した「八王子七福神めぐり」の記事が、途切れたままになっていた。

 前回はこちら ↓ ↓ ↓ ↓

shibasen.hatenablog.com

更に、外伝もある。 

shibasen.hatenablog.com

 さてと、次の大黒様に向かって歩き出すわけなのだが、、、、

甲州街道沿いの「萌え寺」を出て、追分の交差点に向かう。この交差点は四差路になっていて、西に向かう甲州街道と陣馬街道の分岐点である。そして東を向くと八王子の市街地を抜ける甲州街道と、そのバイパスの分岐点。昔は、、、、僕が小学校4年生ぐらいまでだったと記憶しているのだが、ここから八王子駅前の交差点まで、毎週日曜日は歩行者天国となっていた。両親と一緒にバスでここまで来て、ここから先は僕はローラースケートを履き、両親がのんびり歩く間、行ったり来たりしながら滑ったものだ。まあ、その後の交通量増加、特に狭くて直進できないバイパス沿いの住民への迷惑に配慮して、あっけなく廃止になってしまったのだけど、その後の八王子市街地の商業的没落を考えると、栄枯盛衰の懐かしい思い出ではある。

f:id:shibasenjin2007:20160102134202j:plain

 

f:id:shibasenjin2007:20160102134141j:plain

追分交差点の手前(甲州街道の高尾方面寄り)の歩道に、こんな道標が残っている。「左 甲州道中 高尾山道」「右 あんげ道」(あんげ道は「案下道」つまり陣馬街道)この道標は文化8年(1811年)に建てられた物なのだが、昭和20年(1945年)8月2日の八王子大空襲で破損、四つに折れてしまったらしい。一部が八王子市郷土資料館に保存されていたのを地元の有志の働きかけで復元したのだそうだ。

f:id:shibasenjin2007:20160102134214j:plain

「旧道散歩」の遺構として興味深いばかりではなく、「高尾山信仰」の奥深さをも語るうえで貴重な資料である。

さて、追分交差点から左に折れて、陣馬街道(あんげ道)を少しだけ行くと、、、

f:id:shibasenjin2007:20151023164551j:plain

この石碑は「千人同心屋敷跡」の記念碑。この日吉町、千人町界隈に「八王子千人同心」の人々が住んでいたらしい。碑の右の道が陣馬街道。この先に「夕焼け小焼け」の歌碑などもあるのだが、またの機会に。

f:id:shibasenjin2007:20151023164546j:plain

この追分交差点、歩行者は歩道橋を渡らなければいけないのだが、僕は高所恐怖症なので渡れない。今は老朽化で付け替え工事中なのだが、旧歩道橋なんて狭いというか細いというか、僕には絶対に渡れない。そこで千人同心屋敷跡の日の前からチョンボして陣馬街道を横断。

ちなみに、この歩道橋の下には、僕が高校3年の自分の誕生日の晩に「自転車窃盗疑惑&無灯火&飲酒運転(あれ?)」容疑で警官二人に連行された交番がある(笑)

もう時効だよね?しかし、、、あのお巡りさんの自転車って、速いよねえ。あっという間に追いつかれた(笑)

 

さて、先を急ごう。

八王子市立第二小学校の前を通って、秋川街道へ。此路は、高校時代の通学バスが通っいた道で、特にこの辺り、バス停で言うと本郷横丁から平岡町の一区間がよく渋滞した。昔は浅川を南北に渡る橋が少なくて、特にこの秋川街道は雨でも降った日には大渋滞を引き起こしていた。そう、八王子市役所の新庁舎と、併設の橋ができるまでは大変だった記憶がある。

僕は自宅からのバスを本郷横丁で学校方面のバスに乗り換えていたのであるが、本郷横丁ー平岡町(橋の手前)まで、渋滞しているときはバスに乗り遅れても、歩けば悠々と追い越して平岡町で乗ることができたのだ。

だから、この道を歩くのは懐かしい。

さてと、間もなくこの秋川街道沿いの「大黒様」に到着である。

 ★★★★★★★★★★★★★★

ブログランキングに参加しています

よかったらポチッとお願いします

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  

にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 八王子情報へ
にほんブログ村