努君的徒然草2014~

元在ベトナム日本語教師で、看護医療系受験予備校講師の努くんの公式ブログ

日々の行動、活動や、思い出話。 日本語教育や国語教育のこと。 鉄道や駅弁の記録。 ベトナムのことなどなど。 徒然に記します。

東京ー新大阪、0系「ひかり」3時間10分、210㎞の思いで

 東海道新幹線の最高速度が23年ぶりに更新されて、285㎞になってから3月14日で1年になる、、、らしい。最高速度が何㎞かなんて気にしなくなって、どれくらい経つだろう。

母親の実家がある大阪と、東京を年に何度も往復していたので、1966年7月に生まれ、生後数日で新幹線に乗った、、、らしい。もちろん記憶にはない。

東海道新幹線、東京ー新大阪が開通したのは1964年10月1日のことで、東京オリンピック開幕に向かって突貫工事の結果「間に合った」ということらしい。

そこで、路盤が安定するまでの1年間は基本的に160㎞に押さえて運転していた、、、らしい。

  • 運転開始    営業運転最高速度       東京ー新大阪の最速所要時間
  • 1964年10月1日 210㎞(一部区間で160㎞制限) 4時間

           ★この210㎞は、遅延時の回復運転の時のみ

  • 1965年10月1日 210㎞(制限解除)       3時間10分

僕の記憶の中の「思い出」として東海道新幹線はこの210㎞、3時間10分の「ひかり号」である。

  • 1985年3月   210㎞             3時間8分
  • 1986年11月  220㎞(100系運転開始)     2時間56分
  • 1988年3月   220㎞             2時間49分
  • 1992年3月14日 270㎞(300系のぞみ号運転開始)2時間30分
  • 2007年7月   270㎞(N700系の登場)     2時間25分
  • 2015年3月14日 285㎞             2時間22分

この最高速度はあくまでも「東海道新幹線」区間内での話であって、その延長線上の山陽新幹線では1989年から230㎞、1993年から270㎞、1997年には500系で300㎞運転が始まった。なんでそうなったのかと言えば意外と簡単な話で、「東海道新幹線はカーブがキツかったから」というのは有名な話。それを避けるために、山陽新幹線の岡山から先の博多延伸の時にはトンネルの多様で「モグラ新幹線」なんてあだ名されたものだ(これはよく覚えてるなあ)

東海道新幹線内の最大半径2,500mのカーブを通過できる最高速度はN700系を使った270㎞だったのだそうだ。

そしてN700Aの量産化で、いよいよ285㎞運転にこぎ着けたと言うことだ。

そういえば、300系で「のぞみ号」の運転が始まったとき、当初は通過だった名古屋を最徐行で通過してたなあ。あの駅、カーブがキツいですからね。

 

さてと、先週の話なんだけど、東京・国分寺市光町、「ひかりプラザ」にある「新幹線資料館・鉄道展示室」を訪ねた。夕方から用事が入っていたのだけど、思いがけずちょっと早くに他の用事が終わってしまったので、さてどうしようかと。そこでふと、東海道新幹線の最高速度の話を思い出したのだ。

新幹線資料館・鉄道展示室(ひかりプラザ内)|国分寺市

一瞬、(旧)武蔵野郷土館、現在の「江戸東京たてもの園」に行こうかと思ったんだけど、あそこに行くと時間架かりそうだったんで(笑)

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【951-1系・1969年に2両製造された試験電車。1974年に形式消滅、1980年に廃車】

この電車、1972年に正式開業前の山陽新幹線(開業時に250㎞運転を目指していた、、、らしい)新神戸ー西明石間で286㎞の当時の世界最高記録を達成している。(相生ー姫路間という説もあるけど、検証の術を持たないので、詳細不明)

つまり、、、、試験運転の最高速度が280㎞を記録してから、45年近く経ってようやく営業運転での最高速度が285㎞になったと言うことだ。

この子、初代新幹線の「0系」に似ているのだけど、鼻がやや長い。今回初めて運転室に入ったんだけど、高所恐怖症の僕には運転台の高さは少々怖かった(笑)

廃車後は、国分寺市内の「鉄道総合技術研究所」に引き取られて、1991年に国分寺市に譲渡、現在の状態で展示されている。

鉄道博物館などに行けばシミュレーションで体験できるんだろうけど、「夢の超特急」の運転時の「体感速度」ってどんな感じなんでしょうね。最近までJR東海で新幹線の運転手をしていた教え子がいるんだけど、、、、、一度飲みながら思い出話でも聞きたいと思っている。

あ、それで思い出したんだけど、以前に勤めていた某私立高校の理事長が、旧国鉄で「リニアモーターカー」が500㎞を越えたときの技術責任者だったそうだ。その先生に当時の体験をお聞きしたときに、こんなことを言っていた。

「技術的にも、理論的にも500㎞を出せることはわかっていました。ただ、全長7㎞しかない実験線で、500㎞を確実に記録して安全に停止させなければならない。事故でも起こせば、そのままリニア計画が頓挫してしまう。それだけは避けなければならない。500㎞出すことよりも、7㎞で停めることに神経を使いました」と。

1979年12月21日に宮崎の実験線でML500系を使って達成された「無人走行517㎞」の記録は、山梨実験線が完成した1997年まで破られなかったのだそうだ。

 

まあ、中央リニア新幹線が実現するまで元気でいられるのか、、、体感できるのかわからないけど、体験はしてみたいなあ。できれば、大阪まで延伸後にね。

 

新幹線網が整備され、いよいよ北海道から九州(鹿児島)まで2回乗り換えれば新幹線だけで日本列島縦断できるようになるわけだけど、、、、、いちど位は新幹線で「東京駅通過」ってのをやってみたいなと言うのは、幼い日からの思いではある。

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